2012/08/10(金)無題

4歳からハンダコテを握り、6歳でラウンドコンベアで部品実装し、12歳にはQFPのハンダ付け、13歳ごろから表計算を覚え、16歳から税務をしてきた。常、それらの効率化・技術向上に帰着する勉学に励んだ。

22歳、大学卒業と就職の間で交通事故でICUに。半年で復帰させ就職で名古屋に。平日の職場で得た知識は、休日に家業への貢献を。1年間で両立に断念。帰阪。

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生きる目的があって、その為の仕事であればこんな遠回りをしなくてもすぐに覚えて経営なんてできる。幼少期に仕事なんてするもんじゃない、と。

小学生で自転車を覚えたのは家から会社に行くため。
パソコンを使い始めたのは税務をできるようにするため。
工学を専攻したのは、上の言いなりになる家業の実装業を開発業へと押し上げるため。
自動車の免許を取ったのは会社から納品に行くため。
自分の就職を決めたのはいずれ技術を家業へ加担するため。

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それから6年後、自分が知らなかったものを知ることになる。最初は自分で解らなかったが、その空間が好きでいた。半年ほどの儚い期間だった、それも2年前のこと。

自分たちの夢のために、自分たちが一生懸命になるなんてよく解らなかった。そんなことしてて何になるんだろうかと。違った、みんなそれで生きているんだ。



まだまだ俺は自分の存在を認知できていないみたいだ。
もっとわがままに生きる、その方法を知るには、どこから経験すれば良いか。

”不器用” これに尽きるんだろう・・・。

2012/07/14(土)よく見る夢

ここ数年間、サラリーマン辞めて会社をやるようになってからというもの、学生時代、特に架空の高校時代の夢をみることが多い。当時の思い出が湾曲された不思議で面白いおかしい夢、というわけでもなく共通することが、
  • 遅刻したりして自分の行く場所や席がわからず困る
  • 授業に遅れているため、その把握と追いつくことを思案する
  • 対象の授業の教科書・体操着などの準備ができていない
  • 結果、周りについていけない
  • その中でも自分と会話してくれる人を探しやり過ごす
今の自分が、あの当時の自分が当たり前のようにやっていたことを全くやっていないと訴えているかのようだ。

もっとしっかりしないと振り向いて欲しい人は振り向かないだろう、やるしかない…頑張ろう。

2012/06/04(月)自分の考え方

あまり自覚のないまま、無責任な範囲から責任のある範囲へと遷移していった感じに経営者となっていました。つまり社員ではなく、労働基準法の外側であり雇用に関する法律的な保護を受けられない役員という立場、肩書きこそ聞こえは良いが実際にはむしろそれが足かせになるようにも感じたりもします。

お金と部材と人材を使って商いと行うこの立場について、大きな事を言わずとも社会貢献をしてこそ存続と発展があると考えています。

私の難題は人材。

人を育てる、教育に関する難しさについては何も問題とはしていません。問題は説得力という無形物。働きに来てくれる人たちはみな守る家庭があって、そこに各々の思惑があろうとも立場を把握し、妥協点を決めて可能な範囲で行動をする。これは至極当然のことで、このお互いがお互いでバランスを取り合い物事を進めていくと考えるわけです。

家庭がない。

一人身の自分には、この精神的ポジションが定まらないということが欠点となってくる。物事の正しさや説得力があっても、その人がなぜそうするのか、という部分に関する説得力は弱いものとなる。家に帰れば自分しかいないような人が、会社に来て正しく謙虚にしようとも自分の会社や私腹を肥やす以外の終着点が見当たらなく、もしくは見当たりづらくなるように思う。例え、いわゆる使う側、経営者であろうとも家庭があれば互いの立場は違っても守るものは同じで公平性を保つような形で人材を扱える、つまり、一緒に経営できる、ということ。

町工場の社長夫婦がパートさんに好かれながらみんなで頑張る会社、というのが一つの解の風景だろう。

働きに来ている人たちの生活の一部である職場、それを守れるように経営ができる人になるには、一番近しい他人である生涯の伴侶がいなくてどうする。と、思うわけです。

自分の立場と説得力、経営者としてのアイデンティティには嫁が必要と考えているわけです。